高宮カトリック教会
 
2012年5月号  

復活祭メッセージ
フランシスコ・アシジ エドウィン モニス神父 

「私は復活であり命である。私を信じる者は死んでも生きる。」(ヨハネ11章25節)
 主のご復活おめでとうございます。
 復活された主イエス・キリストの祝福と恵みが皆さまとご家族の上に豊かにありますようにお祈り申し上げます。

 高宮教会に来て1年になりました。去年、フランシスコ会管区長・長谷川神父さまと一緒に2011年の聖週間と復活祭を迎えました。皆さまの協力のおかげで今年2012年の聖週間と復活祭を皆さまと一緒に喜びのうちに迎えられることができました。典礼、聖歌隊、侍者、そしてさまざまな形でご参加とご協力をしてくださった皆さまに心から御礼を申し上げます。

 進学、入社、新季節で新しい年の始まりですね。何よりも奇麗な花が咲く季節になり、私たちも神様が造ってくださったこの美しい季節に感謝し、自然からパワー、力をいただき新しいスタートができることでしょう。

「2人または3人がわたしの名によって集まるところには、わたし(主イエス・キリスト)もその中にいるのである。」(マタイ18章20節)
 高宮教会共同体としてこれからも教会、共同体、社会のために一緒に考え、また働くことができれば幸いです。復活された主イエス・キリストは度々、弟子たちの前に現れ、弟子たちを導き、力づけ、見守ってくださいました。復活された主イエス・キリストが私牢ちをも導き、力づけ、見守ってくださいますように祈りたいと思います。

「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」(1コリント15章14節)
 神様からいただいた信仰の恵みに感謝しながら日々を神様にささげて生きて行きましょう。

「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしてもわたしたちは主のものです。」(ローマ14章7節−8節)
 復活された主イエス・キリストと出会った聖パウロは回心し、心を新たにして、主イエス・キリストとの出会いを大事にして、その体験を通して自分の命をかけて主イエス・キリストの福音を宣べ伝えました。私たちは聖パウロや殉教者たちと同じようにできないかもしれませんが、日々の生活の中でキリスト者として生きることができますように聖霊の導きと照らしを祈り求めましょう。

2012年4月7日。復活徹夜祭に3人が受洗、1人が改宗されました。
☆ マキシミリアノ・マリア・コルベ 文太 君
☆ マリア・ファウスティナ 弥生 さん
☆ ヤコブ 義明 さん
☆ マリア 倶子 さん


主に導かれて 高宮教会への所属にあたって
 マリア・ファウステイナ 弥生  ヤコブ 義明
 このたび、1歳の息子文太とともに洗礼のお恵みにあずかることができました。主人は実家がカトリックで、8歳の長男修平と6歳の長女みちるは幼児洗礼を受けていましたが、私自身は結婚から11年を経てようやくこの日を迎えることとなりました。長い年月がかかったように思いますが、振り返ってみますと人生のいくつかの場面で神のお導きがあったことに気づかされます。

 私は、長野県松本市に生まれ育ちました。実家は仏教です。毎朝、仏壇に炊きたてのご飯とお線香を供え、私も小さいころより祖父母や両親の姿を見て、仏様に手を合わせるのが生活のなかで自然なことでした。高校を卒業し大学に通うために東京に出て、主人と知り合ったことは、私の人生においても信仰においても大きな転機となりました。

 主人と出会ってしばらくして、初めて主人の住んでいた下宿に招かれた時のことです。当時で築30年ほどの古いアパートでした。戸を開けると部屋の壁に、十字架のイエス様と白髪に白い帽子の優しそうな老人の写真がかかっているのが見えました。私は「この人、どこかで見たことあるけれど‥・」と聞くと、主人は「ヨハネ・パウロ2世という人」と教えてくれました。当時、私はそんなことも知らなかったのでした。それがカトリックとの最初の出会いです。今考えると、主人の部屋は馬小屋で(主人には失礼かもしれませんが…)私は羊飼いだったのかもしれません。

 その後は、よく信仰について主人と話をしましたが、教会にはほとんど足をはこびませんでした。結婚することになり、半年ほど結婚講座に通いましたが、結婚後も仕事と育児の忙しさにかまけ、教会から足が遠のいていました。

 約2年前、主人の転勤先が福岡に決まると、ほぼ同じ時期に3人目の子をお腹に授かったことがわかりました。主人は何かを感じたようです。教会とカトリック幼稚園に近い、ここ高宮に居を定め、家族で教会に通うことを決心しました。

 主のお導きに感謝するとともに、温かく支えてくださった皆さまに感謝申し上げます。日々、神様の息吹を感じながら、感謝し、歩んでいきたいと思っています。
4月7日、復活徹夜祭にて高宮教会に所属させていただくこととなりました。
私はプロテスタント(メソジストに属する教会)で洗礼を受けておりましたので、この度は改宗・転会ということになります。

 私は小学生のころ、両親に連れられて教会に通っておりました。洗礼を受けたのは9歳ですが、自分の罪と、キリストの十字架による贖(あがな)いということについて理解をしていたと思います。

 しかし受験・就職等、社会において「未熟な人間としてのスタート」が始まった時、当時の私には教会に属することが重荷にしか感じられず、結果的に教会を離れることとなりました。

 今、私は34歳ですが、再び教会に属することとなりました。その間に多くの出来事がありましたが、今、感じているのはやはり洗礼を受けた者は神の元を離れることはできないということです。

 かつては教会に属し神の元にあることを重荷のように感じていましたが、生きること、働くこと、人と関わることはすべて自分一人の思いどおりにはならない苦しいことであり、そのすべてが神の元にあることを知るのは洗礼を受けた者にとって喜びだと感じています。

洗礼を受けて
マリア 倶子
 笹尾(妹)と黒木さまのお誘いで高宮教会にやってまいりました。家族の中では、二人の妹に次いで3人目の受洗となりました。

 高宮教会の皆さまのお力に支えられて洗礼を受けることができましたことを感謝いたします。

 これからもどうぞよろしくお顔い申し上げます。
〜黙想会に参加して〜
小さきテレジア 芳子
 復活祭を前に、四旬節第五主日の3月25日に当教会で黙想会が開かれました。

 ご指導くださったのは、光丘教会の川上惣一神父さまです。黙想会といえば、私のように信者になってまだ日の浅い者にとっては堅苦しいイメージがあり、神秘の世界でした。ところが、川上神父さまの講話は明るく、軽妙酒脱。キリスト教の原点である人間のあらゆる罪の根源(原罪)についてのお話を、アダムとェバから引用されて、「この世に掟(おきて)を与えられたのは、神様の愛によるものだ。」ということに気付かせてくださいました。

 また、聖書の例え話の中の一つである放蕩息子のお話は‘‘無償の愛”というキリスト教の大切な教えであり、身が引き締まりました。

 家庭の中でいろいろな困#や悩みがあっても、愛があれば乗り越えることができます。争いや、いさかいの多いこの地上ですが、神父さまは私の中の“おごり、高ぶる心”を鎮め、ひとときの心の平安を求めさせてくださいました。

 その後、川上神父さま、松井神父さま、大塚神父さまによる「ゆるしの秘跡」があり、心を新たにイエス様の復活を待ち、神様の愛を受け入れる時を持つことができました。御ミサだけでなく、黙想会に参加することは、信者にとって大切な務めだと思います。

認知症の高齢者に寄り添って
ガラシア イチエ
 私は以前、長崎市郊外にある福祉施設で働いたことがあります。そこには何らかの形で認知症と認められた方が7割程度おられました。定員は90人です。女性が7割ほどを占めていました。17年前に介護福祉士になり、そこには約7年ほど勤務しました。その後1999年から2007年の3月まで、介護保険の認定調査員として、その周辺つまり西彼杵半島の対象者の方を訪問しました。調査員は40人ほどいたと思います。

 私は介護施設にいた時に感じたのですが、私たちのいた施設から病院へ送られる時、召されてしまう方が多いということです。神様のみ前に行かれる前に、何とか一人でも救われてほしいと思いました。ある老婦人には「仏教を信じていますか?」と耳元でそっとささやくと首を横に振りました。彼女はその後イエス様を受け入れました。おそらく23人くらいの方々がイエス様を受け入れたと記憶しています。2〜3人の証がありますが、その中でとても印象に残った方がおられました。

 彼女は非常に小柄でつえをついておられる方でした。ほとんど言葉は出さず、食事も毎食ヤクルト1本です。三度の食事を楽しみに生きておられる方々の中で、一人だけ別の何かを求めておられるのを知った時、私は思いました。「主を捜しておられるのかも」と。そして彼女の耳元でそっと主の名を伝えました。彼女は2日後に召されたのです。求め続けた主にまみえ、安心されたのでしょう。とても静かで穏やかな出発でした。もともとクリスチャンでありながら、何らかの事情で信仰生活が送れなくなり、自分がクリスチャンであることも、人に伝えることが困難になっておられたのでしょう。でも私には彼女は主にある方なのだと、ケアをしていてよくわかりました。スタッフに愛されながら、神のみ元に旅立たれました。

 認知症が軽い方の中に、カトリックの信者さんもおられました。五島のクリスチャンの女性ですが、以前は五島で5時間歩いて御ミサにあずかっておられたそうです。

 他にもカトリックの信者さんはおられたのですが、同じ共同体から来られなかったので、共に集まることはなかったようです。いつも信仰の友人を捜し求めておられたので、共に「グロリア」を歌ったことがありました。彼女はとても喜んでくれました。入所されて初めて見せてくださった笑顔でした。しばらくして、そこで栄養士さんの指導のもとに料理教室が始まりました。彼女はうれしそうに包丁を持ち、誰よりも上手にニンジンやジャガイモの皮をむいておられました。お習字も熱心に練習され、面会の家族を喜ばせておられました。

 認知症になっても、軽度の方から重度の方がおられますので、1日24時間全く何も物事が分からないわけではありません。現在のことは忘れやすくなっていても過去のことは、はっきり覚えていることが多く、習慣的に身につけていることも覚えていることが多いのです。認知症になったから霊的なことがすべて分からなくなっているのではありません。 日常生活に少しずつ介助が必要になっているように、霊的なことでも、誰かの助けがあれば、祈ったり賛美したり御ミサに出席することも可能です。隣りに誰かがいないと不安になりますので、なじみの方が介助するほうが介助される方も落ちつかれるでしょう。誰にでも軽い物忘れはあり、高齢になれば何らかの介助が必要になってきます。お互いに受け入れ合い、自分の家族の誰かがそうなった時、ひと声かけていただけるように、まず自分から認知症の方に声かけしながら歩んで行きたいものです。

 このあいだ、若年性認知症の方が勇気を出してテレビに出て話しておられました。その方は公務員でした。60歳前に認知症になり、仕事を退職せざるをえなくなられたそうです。以前の部下の方もみな去ってしまい奥様と二人暮らしで、孤独であることを語っておられました。これからは、多くの方が認知症になった苦しみ、不自由、どのように寄り添ってほしいのか語れる機会が多くあれば、世間に理解が深まり、周囲のご協力もいただけるのではないかと思えます。2月4日の朝日新聞に「治療法開発に光」という見出しで、アルツハイマー病の治療に関する記事が載っていました。一日も早く効果的な薬が世に出て来て認知症が「風邪」のように治る日を待ち望んでいます。

 日本は100歳以上の人口が5万人に迫る国です。介護が必要な人は、「要支援」まで含めるとその100倍おられるという現実があります。多くの方ができるだけお元気で過ごせるよう、介護予防も必要になってきます。精神科医は、ずっと心も元気に過ごすためには「ときめき」ということが大切であると言っておられます。おしやれをして美容室に出かける。絵や器を見に出かける。自分なりにステキな時間を楽しむ。そこで一瞬の人との出会い、犬や猫との出会いを楽しむ。認知症があっても、誰かが寄り添い、いつもの日常が少しずつ取り戻せたら、ステキな日本になるのだろうなあと思います。

 グループホームや福祉施設などに、若い人たちがボランティアから始め、就労できるようになればいいなあと思います。若さと笑顔とやる気があれば、2〜3年たって介護福祉士の資格を取るのはそんなにむずかしくないでしょう。自信がついたち、どんどん他の職種にチャレンジするのも良いでしょう。さらに福祉の専門職になるのも良いでしょう。私は昨年還暦を迎えました。さあ、あなた方の時間を煙の時間にしないように、私たちと交代です。若い人たちが、多くの高齢者の心をときめかせ、立てなかった人がつえなしで歩く姿を見るでしょう。あなた方の若いエネルギーは高齢者を元気にします。これは私が見てきたことです。
トップページ メッセージ 教会案内 ミサ・講座 信徒活動 ニュース アクセス おしらせ