高宮カトリック教会
 
2015年12月20日 

一致と和解のための巡礼
デソーザ・ジョンソン 神父
 私は10月10日から10月18日までイタリア巡礼に行ってきました。これは初めての巡礼で、とても心に残るヨーロッパ巡礼でした。私はフランシスコ・カプチン会の司祭でありながら、長い間待望していたことは、生涯一度でも、アシジのフランシスコが生まれて住んでいた所アシジを訪問することでした。ついに、その唯一の機会がやってきた。すごく驚いて感動しました。そんなに早くその機会が来ると思わなかった。この巡礼は私にとって神様の恵みと祝福でした。巡礼の時堂、聖フランシスコの大聖堂、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ大聖堂、ロレートの聖堂、サン・ピエトロ広場、サン・パウロ・アオーリ・レ・ムーラ大聖堂、サン・ピエトロ大聖堂でした。

 この巡礼はエキュメニカル巡礼でした。 66カ国からの800人の巡礼者がローマに集合しました。その中に、150人が聖職者(司教、大司教、司祭と牧師さん)そして650人が一般のキリスト信徒でした。カトリック信徒だけではなく、15宗派の信者が一つの共同体として集まって、一緒にミサをささげたり、ロザリオのお祈りをしたり、御聖体賛美式をしたりしました。この巡礼の目標はキリスました。カトリック式の典礼を含めて、コプト正教会、ギリシア正教会、シリア正教会、エチオピア正教会などの東方典礼も行われました。皆が一つになって、同じ祭壇の周りでみ言葉を聞いて、御聖体をいただくことは今まで体験したことがありませんでした。本当に天国のような雰囲気でした。

 いろいろな宗派の信者が集まっているのに、誰一人も差別することがありませんでした。私が学んだことは、もし誰かが私に「あなたはカトリックですか?プロテスタントですか?」と尋ねたら、私はその人に、「私はクリスチャンです」と答えなければならないということです。なぜというと、クリスチャンというのはキリストの弟子で差別をしない人になります。私たち皆は神様の子供で、一つの家族の兄弟姉妹として一敦して愛さなければなりません。私たちはキリスト教徒に対する分裂の偏見を捨てなければなりません。

 2015年6月19日、教皇フランシスコとアンティオキアのシリア正教会の総主教は、双方が両教会の完全な交わりに向けて取り組むように要請すると表明しました。総主教は「復活際を二つの別々の日に祝うことは大きな痛みの元であり、世界における教会の共通の証しを弱めるものです」と言われ、教皇フランシスコが最近、「この問題への取り組みを前進させるために主導権を取っていこうと考えておられる」ことに感謝されました。

 教皇は現在の状況を風刺してこう言われました。「もしカトリック信徒と正教徒が出会ったら、片方が『あなたのキリストはもう復活したのですか? 私のキリストは今度の日曜日に復活します』と言います。」

 イエスは私たちに、互いに反目するのではなく、一つの家族に属し、一緒に協調し、一つである子どもたちのようになるように求められます。互いを区別する霊がこれ以上私たちのR引こあってはならないからです。「私たちは律法によって生きるのではなく、恵みによって生きるのです」(ローマ6・14)。神は私たちの心が互いに結び付けられているりのをご覧になって喜ばれます。皆様の上に神様の祝福がありますように。





多くの方が洗礼・堅信のお恵みをうけました
洗礼式
2015年4月4日(土) 復活の聖なる徹夜祭
アシジのフランシスコ 中道 アウグスチヌス 前田
ベルナデッタ  當  ステラマリス 金子
マリア 吉永   
堅信式
2015年10月4日(日) アシジの聖フランシスコのお祝いの日
マリア 豊村 アシジの聖フランシスコ 遠山
アシジのフランシスコ 中道 アウグスチヌス 前田
ベルナデッタ  當 セシリア エジケ
ステラマリス 金子 マリア 前田
マリアテレサ 唐野

教会への思い
ベルナデッタ  當  
 幼いころ長崎の教会で過ごしたクリスマスの楽しい1日は絶対に忘れることができません。その思い出から数十年経過したある土曜日夜、勇気を出して高宮教会の門戸を叩いてみました。神父様のお話しは癒しになり勇気づけられました。

 9年間、土曜日のミサに参加していた私は、シスターさんから洗礼を受けませんかと声をかけられ、聖書とイ エス・キリストの勉強を始めました。洗礼名は生き方に感銘したベルナデッタにしました。ベルナデッタと私は誕生日も同じで何か縁を感じます。

 長い日々がかかり、やっと今年の復活祭に洗礼を受けた時には緊張でいっぱいでした。皆様の温かい言葉、美しい歌声で少しホッとしました。堅信の秘跡では、宮原司教様に按手と塗油を授かり、祝賀会での握手のとても優しく温かい手に幸せな気持ちになりました。今後はカトリック信者として日曜のミサに参加し日常の信仰を大切にしたいと思います。ジョンソン神父様はじめ青木さん、西田さん、高宮教会の皆様にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。
洗礼への感謝について
アウグステチヌス 前田

 私は、2015年4月4日(土)の復活の聖なる徹夜祭にて洗礼を授かりました。今、考えてみますと洗礼へのお導きは、神様からによるものだと思っております。また、洗礼に当たりましては、ジョンソン神父様等と高宮教会の皆様のご協力により受洗できました事を心より感謝申し上げます。併せて代父になってくださいました原さんに心より御礼申し上げます。

 私が、キリスト教(カトリック教会)の日曜のミサに参加させて頂きましたのは、2009年の6月頃でしたので、約6年前の事であります。確認の為、自宅に保管してあります当時のミサの『聖書と典礼』の最初は、2009年6月14日の『キリストの聖体』B年(パウロ年)から保管していました。

 最初に教会のミサに参加するようになったのは、知人が参加しているミサに興味本位で参加をしていましたが、司祭のご説教に心から感銘し、自ら進んでミサに行くようになりました。

 そして、当時参加していましたカトリック老司教会の海星女子学院のシスターより洗礼への勉強のお誘いを受け、毎週日曜のミサの前後に修道院で、数名の受洗志願者と講義を受けていましたが、仕事の都合により数か月で中断してしまい今日に至りました。

 今回、今まで心に抱いていた親族への迷い(実家の他教との決別)も吹っ切れ、自ら何を信仰していくべきか判断し、洗礼を受ける決心をし、昨年9月より毎週木曜日の朝のミサの終了後に神父様等のお忙しい時間の合間に洗礼への勉強をさせて戴きました。

 私の洗礼名についてでありますが、洗礼にあたり神父様より「希望する洗礼名は有りますか。」と問われましたが、皆様がどのようにして洗礼名を決められているのかが分からず、「キリスト教の歴史書の人名等で調べたいと思います。」とお答えしましたが、決められないままでした。ある日、神父様より「貴方の誕生日は何日ですか。」とお尋ねになりまして、「8月28日が誕生日です。」とお答えしました。神父様より「それでは8月28日に聖人になったアウグスチヌスでは如何ですか。」とのご助言を戴きまして、この事により私の洗礼名が決まった訳であります。

 私は、聖人アウグスチヌスの事について何一つ知りませんでしたから、聖人アウグスチヌスに関する本を購入し、洗礼までに勉強をしました。聖人アウグスチヌスは優れた司教でご自身が書かれた著書『告白』は、後世の神学者や哲学者に多大な.影響を与えたのだと知り、この洗礼名に恥じないように、これからの信仰生活を歩みたいと思っております。

 また、高宮教会設立50周年の節目に共同体の一員になれるようにご尽力して下さいました皆様方に再度、心より感謝申し上げます。 これから、微力な私でありますが、カトリック信者として少しでも高宮教会等にお役にたてるよう努力致したいと思います。
アシジのフランシスコ 中道 寿彦
 私とカトリックの出会いは、1984年の浦上天主堂での結婚式からでした。詳しくは、結婚のために浄水通りの神学校で行われた勉強会「愛の学校」からでした。内容は堅信式の時に司教様が話された、お互いに思いやりを大切にし、家庭の教会をしっかりと築きなさいという様な内容でした.。それから信徒である妻との生活の中で、毎週日曜日のミサの参加、妻の父母、親戚との生活、冠婚葬祭、3人の子どもの幼児洗礼や堅信式などでふれてきました。結婚の折りに、義理の父から、妻本人の信仰や子どもの洗礼については話しを聞いていましたので、私の気持ちの中で、それらの事についての抵抗感はありませんでした。

 カトリックと真剣に向かい合うきっかけは、義理の父や母と一緒に旅行した萩・津和野への旅でした。私は歴史に興味があり、観光感満載で回っていましたが、マリア堂で見せた義理の父の行動に唖然とさせられました。義理の父はマリア堂の近くに展示されている三尺牢の前で急に膝を落とし、涙を流し、声を震わせながら「こがん せまか中に」と言った後にアヴェ・マリアの祈りをしていました。この事を契機に義理の父の思いを深く知ろうと長崎、浦上、義理の父の家がある石神町を歩き回って史跡を調べ、残されてい
る資料に目を通すようになりました。

 そうしている最中、義理の父の大病が分かり余命1年ということが知らされました。福岡で一緒に暮らすようになり、洗礼式、堅信式は義理の父が生きているうちには間に合いませんでしたが、生前、さまざまな「くずれ」に負けずに受け継がれてきた信仰のこと、そして私が洗礼を受けたい事を告げることができ、喜んでくれた事を今でも鮮明に覚えています。

 その約束を果たす事が出来ました。義理の父が大切にしていた事を感じ、見習いながら信仰生活を送って行きたいと考えています。

 洗礼名は義理の父の洗礼名「ミカエル」という名も考えましたが、本で読んで印象に残った「神が創ったあらゆる物に耳を傾け話した、太陽なる兄弟、姉妹なる月」という言葉がすてきだと感じ、アシジのフランシスコという洗礼名に決めました。これからキリスト者として信徒使徒職の召命を祈りの中で感じられるようにしていきたいと考えます。新人信徒をよろしくお願い致します。

くずれ
 およそ250年前の禁教令の中での潜伏キリシタンの発覚・捕縛。