主任司祭

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聖母の被昇天


8 月 15 日は、カトリック教会では「聖母の被昇天」のミサの行われる日です。このミサ で、聖母マリアが亡くなりこの世を去り、その肉体が天に上げられたことを祝います。

エルサレム近くにあるシオンの山に、「聖母永眠の教会」(Church of Dormition)とい う名前の立派な教会が聳え立っています。この教会は、マリアがこの世での人生を終 え永遠の眠りについたと伝えられる場所を記念して建てられました。また、聖母はここ からキドロンの谷の中の地下室に運ばれたとも言われています。この場所からマリアは、 肉体と魂ともども天に昇ったのです。マリアの被昇天は聖書には言及されていません が、キリスト教徒は使徒の時代からずっと、これは本当にあったことであると信じてきま した。

イエスが天に昇ることとマリアのそれとは違います。イエスの場合、この世を去り「昇 天」(adscendĕre)したと言います。イエスはご自分のお力で昇られたからです。それに 対してマリアは「受け入れ」(adsūmĕre)られたと言います。それは、マリアは自分の力 ではなく神の力で天に上げられ受け入れられたからです。そのため私たちは「聖母の 被昇天」と言い「聖母の昇天」とは言わないのです。

聖マリアの被昇天は、私たち自身が将来どのように変えられるのかを予め示してくれ ています。私たちも、終わりの日には死から甦り、体は朽ちることも果てることもない衣 に包まれることを伝えてくれています。私たちの体は、結局のところ、何なのでしょう か?埋められればそれは朽ちるものです。しかし甦れば、朽ちることがありません。埋 められれば醜く弱いものですが、甦れば聖なる体となります(『コリントの信徒への手紙』 一 15 章 53 節参照)。聖マリアの被昇天は、私自身の体と魂がそのような神の恵みを 受けることを約束してくれています。

聖母マリアは私たちの未来を教えてくれているだけではありません。どうすればその ような未来に辿りつくことができるのかをも示して下さいます。マリアは信仰の一生を生 き、神の御旨に対して、いつも「はい」と答え、完全に神に服従していました。父なる神 の御旨を常に行っていたために、マリアは普通の女性としての姿よりも神の母としての 姿の方が勝り、神の力によって偉大な業を行っていたのです。私たちもマリアに倣うな らば、神が私たちを道具として用い、偉大な業を行われることでしょう。

もし神の恵みを受けた人生を歩むのなら、私たちはマリアのような生き方をしなくて はなりません。「お言葉通りになりますように。私は主のはしためです」と言って、神の 御旨に心を開くのです。神に心を開くことで、失うものは何一つありません。それどころ か、私たちの人生を豊かで素晴らしいものにしてくれるのです。

高宮教会 主任
クマール・プラビン神父